人生の豊かさを考えさせられた、2009年のニュージーランド。

2009年の秋、僕が社会人4年目で26歳だった頃の話だ。

新卒で入った会社で入社4年目というのは(もちろん所属する組織によって異なるが、少なくとも僕にとっては)一番ラクな時期だった。

入社1、2年目のように理不尽に雑用を押し付けられることもなく、かと言って中間管理職のように責任を押し付けられることもない。仕事のコツはつかんでいるので、それなりに卒なく回せるし、初めてのことは減っているので毎回緊張することもない。給料も少し上がってきている。

そんな4年目の秋に17連休を取得した。これは僕の会社員人生で最も長い休暇だった。

海外旅行に行くために取った休暇だったが、17連休を取得した時点ではまだ行先は決めていない。

文化遺産が豊富なイタリアを回ろうか、はたまた圧倒的な自然が残るニュージーランドか?

よりマニアックな地域を開拓したいという気持ちが勝り、ニュージーランドに決めた。

南島クライストチャーチの中心部

北島にあるニュージーランドで最も大きな都市オークランドIN/オークランドOUT。

タイ航空を使った関係でバンコク経由になり、せっかくなので帰国前にタイに2泊滞在することにした。

それでも14日間をニュージーランドで過ごせるスケジュールだ。

初日に泊まったオークランドの日本人経営のバックパッカーズ(=ホステル)が旅行会社を兼ねていたので、そこで長距離バスやフェリー、宿の予約を一気に済ませた。

少しずつ南へと移動しながら最終的に南島のクイーンズタウンまで行き、そこから国内線でオークランドに戻る旅程だ。

フィヨルド地形が見られる南島のミルフォードサウンド。

オークランドからロトルアヘ。ロトルアからタウポへ。タウポからピクトンへ。ピクトンからクライストチャーチへ。クライストチャーチからマウントクックビレッジへ。マウントクックビレッジからクイーンズタウンへ。そして最後に再びオークランドへ…。

ロードオブザリングのロケ地にもなったニュージーランド。街と街の間はひたすら草原が広がっており、この国の人口の6倍多いという羊の群れを車窓から眺めていた。

到着した街はどこも自然が近くにあり、各地でトレッキングを楽しみながら南下した。

ロトルアのトレッキングルート。

ニュージーランドで感じたのは、ゆるくリラックスした空気だった。

例えば、街を歩いている時に信号がない交差点で車が通り過ぎるのを待っていると、ドライバーはたいてい道を譲ってくれる。それも急かすような感じではなく、とてもフレンドリーなのだ。

カフェやショップの店員の対応もフレンドリー。ごく自然に「どこから来たんだい?」と会話が繰り広げられるし、ピクトンの宿ではチェックイン時に自家製のアイスクリームで迎えてくれた。

自分たち日本人が特別せかせかしていると思うことはあまりなかったが、彼らと比べたらとてもせかせかしているし、常に緊張を強いられているのだと思った。

それによって多くの人がイライラし、疲れている。

それから、店が閉まる時間が早く、夕方5時くらいには店という店が閉店して町はとても静かになるし、日曜日も多くの店が閉まっていた。

彼らが日本にきて24時間営業のコンビニやスーパーを見たらどう感じるのだろうか?

野鳥に至っては警戒心ゼロで、もはや飛び方さえ忘れてしまっている。それでも困っているようには見えない。

2週間の滞在ではあるが、ニュージーランドという国が憧れの国になってしまった。

当時の物価は日本の80%くらいだったように思う。統計を見ると一人当たりのGDPは日本の70%程度だ。

まだ経済力という観点では日本に少し優位性があった頃だが、国民があくせく働くことなく経済が成り立っているなら、その方が圧倒的に幸福度が高いのではないか?

そんなことを考えさせられた2週間の旅行だった。

マウントクックビレッジ

そして、それから14年が経過した今、ニュージーランドの一人当たりのGDPは日本よりも高い。

きっと今もニュージーランドの人々は、あくせく働くことなく、豊かな自然をそばに感じながらリラックスした人生を送っているのだろう。そして、それはどんなライフスタイルなのだろうか?一度住んでみたいものだ。

ABOUTこの記事をかいた人

Daily Lives代表。1983年生まれ。企画・編集・取材・コピーライティング・撮影と、コンテンツ制作に必要なスキルを幅広くカバー。紙媒体・WEBのコンテンツ制作を行う。趣味は旅行・アウトドア・温泉。